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仙台高等裁判所 昭和29年(ラ)42号 決定 1956年2月29日

抗告人 松木つね子(仮名) 他三名

相手方 松木正雄(仮名)

主文

原審判を左のとおり変更する。

相手方は、相手方の住所において、抗告人松木つね子と同居し、これを扶助せよ。

相手方は、昭和二十九年七月十九日より相手方が抗告人松木つね子と同居するまで、同抗告人に対し一ヶ月金二千五百円あて、既に経過の分は直ちに、その後はその月分を毎月末日までに支払せよ。

相手方は、相手方の住所に抗告人松木正夫、松木広、松木美子を引き取り扶養せよ。

相手方は、昭和二十九年九月三日より相手方が抗告人松木正夫、松木広、松木美子を引き取り扶養するに至るまで、同抗告人等に対し、夫々一ヶ月金千円あて、既に経過した分は直ちに、その後は、その月分を毎月末までに支払せよ。

理由

本件抗告の趣旨及び抗告理由は別紙のとおりである。

記録添付の筆頭者松木政次の戸籍謄本によれば、抗告人つね子は、相手方と昭和二十三年十一月○日相手方と婚姻の届出を了し、夫婦の関係にあり、抗告人正夫(昭和二十四年○月○日生)、同広(昭和二十六年○月○日生)、同美子(昭和二十九年○月○日生)は、抗告人つね子と相手方の間に出生した子であることが認められ、家庭裁判所調査官補金○○一の調査報告書によれば、相手方は抗告人等の同居を拒むべき特別の事情は認められない。そうすると、相手方は、夫として抗告人つね子と同居しこれを扶助する義務があり、又抗告人正夫、広、美子の父としてこれを引き取り扶養する義務がある。そして、前記調査報告書によると、抗告人等は、現に扶助、扶養を要する状態にあるから、相手方が現実に抗告人等と同居し、これを扶助、扶養するに至るまで、その扶助、扶養の費用を支給するを相当とするところ、右調査報告書に認め得る当事者双方の現在の資産、収入その他一切の事情に徴すれば、抗告人つね子に対しては、本件調停申立の日である昭和二十九年七月十九日以降一ヶ月金二千五百円宛、抗告人正夫、広、美子等に対しては、審判申立の日である昭和二十九年九月三日以降夫々一ヶ月金千円宛支給するのを相当と認める。

原審判は、一部右認定と異なるから、これを変更すべきものとし、家事審判規則第十九条により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 村木達夫 判事 石井義彦 判事 杉本正雄)

参照

抗告の趣旨

原審判を取消し相手方は抗告人松木つね子と相手方の住所に於て同居し同抗告人を扶助すべきこと、相手方はその住所に抗告人松木正夫、広、美子を引取り扶養すべきこと、相手方は右履行に至る迄抗告人四名に対し昭和二十九年五月以降毎月合計金壱万円の扶助料および扶養料を支払うべき旨の裁判を求める。

抗告の理由

抗告人松木つね子が相手方と別居するに至つた事情は原裁判所に提出した調停申立書記載の通りである同抗告人は三児を抱え屡々相手方に対して夫婦関係本来の姿に戻るべきことを要求したのであるが相手方が応じないため三児と共に実家に寄食し辛じて生活しているのである、相手方に同居を拒む正当の理由のないことは原裁判所も認めるところであるが原裁判所の認める扶助料金千円、扶養料合計三千円では到底月々の生活を維持し難い、抗告人美子出生前なる昭和二十八年六月別居当初当事者間で取決めたときでさえ毎月三千五百円及び飯米、木炭一俵、薪若干を抗告人に毎月仕送りすることとし昭和二十九年四月まで履行せられたのである、この合計額は原裁判所の認める扶助料、扶養料よりも多額である、その後抗告人美子出生し従来取決めの額では不足なので抗告人等は原裁判所に前記調停の申立を為したのである、然るに原裁判所は当事者が任意に取決めたものより少額の扶助料、扶養料を認めたことは理解し難い。相手方の資産収入状態の実体を更に詳しく調査すれば抗告の趣旨程度の支出は不可能ではないと考える、殊に相手方に同居を拒む正当の理由なくその我儘勝手から妻子を困窮せしめているのであり相手方の現在の心境から見てこの状態は今後相当永続すると考えられる大体に於ては同居を促進する意味からも相手方に扶助料、扶養料の調達に相当の心痛を加えることが望ましいと考える。

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